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高校を卒業した

2023 年 3 月 1 日に高校 (というか中等教育学校) を卒業した。具体的な学校名については伏せるが調べれば 2 分くらいでわかりそうなのである程度時間が経ったら載せようかなとも思っている。

学校自体は県立の普通の学校といった印象で同級生のほとんどは自称進学校と言っていた。友人とこの学校の悪いところを自虐ネタのように言い合ったこともあったし、SNS によく投稿される「自称進学校あるある」に頷けるようになってしまった。

正直私はなんとなくという理由で受験して入学してしまった。この学校に入学したことを後悔していないと言ったら嘘になるが、かと言ってここで過ごした学校生活が全てクソであったというわけでもない。施設はそこまでだし、一部の教員はひどいし、色々と文句はある…しかし、入学してしまったこと自体が人生の失敗というわけでもないような気がする。6 年間で親友と呼べるような仲もできたし、同じ趣味を語り合える仲間や頼れる後輩もできた。

中高生活を振り返る

1-2 年

入学式についてはほとんど記憶にない。入学したばかりの頃、階を間違えて顔も知らない先輩たちがテストを受けている教室に入ってしまったことがあった。頭が真っ白になったあの感覚は今でも鮮明に覚えている。 入学してしばらく経った頃、オリエンテーション合宿なるものがあった。バスで隣の席の人と仲良くなり、その後同じ部活に入った。彼は今でも親友と呼べる人の一人だ。

この時期は比較的真面目に授業を受けてそれなりの成績を保っていた。授業中に寝たことは一切なかった (偉い)。2 年生になって勉強をすれば成績が伸びるという当たり前なことに気づいてからは試験前は学校に残って勉強をしまくっていた。部活では適当にプログラミングをしていた。C 言語を主に書いていて 2 年の文化祭ではコンソール上で動くテトリスを展示した。

2 年になる直前の頃にはパソコンを購入して自宅でかなり快適な生活が送れるようになった。そしてプログラミングに没頭した。この頃からだんだんと睡眠時間が短くなっていき、夏休みなどの長期休業期間はかなり社不な生活を送っていた。

3-4 年

3 年には合唱コンクールの実行委員会に入った。2 年でもしていたのでなんとなくでもう 1 年続けてみた。委員の中でパソコンがかなり扱えるほうの人間だったのでパソコン作業を任され、かなりの凝り性だったのも相まって徹夜してまで作業をしていたのは懐かしい。給与も出ないのによくやったなあと当時の自分に感心する。

部活ではかなり先輩の影響を受けた時期であると感じる。先輩からの勧めで GitHub アカウントを作ったし、先輩の作った Web サイトを見て React やらを勉強し始めた。もちろんこのブログも 1 つ上の先輩がブログを作っていたのを見て影響を受けて作った。

3 年の時に初めて自分の部屋ができ、4 年になると自作 PC に手を出した。以前のパソコンは兄との共用だったので不自由なところがあったが完全に自分で好きな時に使えるものができた。電子工作にまでも手を出し、この頃から音ゲーを作り始めた。また同時に競技プログラミングを始め、情報科学に興味を持ち始めた時期でもあった。

また、さらに社不な生活をし始める時期でもあった、4 年になってからついに耐えられなくなって授業中に初めて寝た。一度寝ると戻れなくなり計画的に授業で寝るようになってしまった。

ちなみにこの頃は Twitter アカウントを作った時期でもある。しばらくはあまり動かしていなかったが、だんだんとインターネットに染まっていき、生活リズムがさらに崩壊していった。(終わりの始まり)

5-6 年

正直最後の 2 年が一番濃かったし、一番成長した時期でもあったなあと感じている。結局適当に過ごしてしまった感じは否めないが

これからの進路

筑波大学情報学群情報科学類に進学する。記憶が鮮明なうちに合格体験記かなにかを書きたいところ…

あとがき

卒業式前夜に勢いで適当に書いてしまったので後で書き直したり思い出したことを追加したりしたいな…

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